息子は2歳8か月。
育児に慣れていない頃は、離乳食づくりやおむつ替え、遊びにお出かけと、目の前のやるべきことに追われる毎日でした。
今では息子も自分でできることが増えていき、うれしい反面、こうして自分の手を離れていくのかなあと、ふと寂しくなる時もあります。
いつかは必ず手を離れる子供。
その子供との、大人になってからの関係についても、たまに考えるようになりました。
実際に私はというと、大人になってから、親とうまく話せなくなってしまいました。
本当はもっと話したいのに。
私ができていない分、自分の子供とは、大人になってからもちゃんと話せる関係が理想。
その根本には、親子の距離感が大切なんじゃないかって思うんです。
そんな、子供との関係について、自分の体験を踏まえて今考えることを書いてみようと思います。
・育児が落ち着いてきた
・子供が自分の手を離れるのがこわい
・親と子の理想の距離感を考えている
私自身の今の実親との関係
自分の親が嫌い、ということではないです。
ただ、うまく話せない。
反抗期みたいな。
冷静に考えたとき、原因として考えられることはこれじゃないかと。
これがまさに、私と親(特に実母)との関係だと思いました。
親(私の母)が、いつまでたっても「子供(私)は自分の手で育てる」という意識が抜けない。
子供(私)も、なんとなくその環境で育ってきて、息苦しくなるけど抜け出せない。
私が親にしてきてもらったことをざっくり思い返すと…
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- 中学受験を勧められ、受験した
- 大学受験の時にホテルの手配をしてもらい、茨城から千葉まで電車でついてきてもらった
- 私立大学の学費はすべて親に出してもらった
- 大学生活の四年間以外、結婚するまではずっと実家で過ごした
- 田舎なので駅までの送り迎え(約20分)をたくさんしてもらった
やば。親に頼りまくりの人生…
今は旦那と子供と三人で暮らしてますが、こんなに親にやってもらってばかりでここまで来てしまいました。
どうして自分の親とうまく話せないようになったのか
こんなにしてもらってるのに、「うっとおしい」という感情が芽生えてきます。
まさに思春期。反抗期。この年になっても、ずっと。
自立したいのにできていないという劣等感。
結婚して子供がいる今でも、この「うっとおしい」という感情は奥底にあります。
育児に口をはさんできたり。
私の服装について、もっとこうしたほうが、と口を出してきたり。
ほかには、嫌というわけではないけど…
- 私に服を買ってくる(ちょうどいいものは愛用、それ以外はしまいっぱなし)
- 息子を連れての帰省時に茨城から千葉まで電車で迎えに来る(片道2時間ちょい、約2000円)
まさに過保護…嬉しいんだけど…もやもやもやもや。
このように、私の意志とは無関係に、私の人生のレールを親にすべて敷かれている気がして、態度も反発してしまいます。
反対しても、母の中ではもうその計画で進んでいる。反発しても無駄。
だから、話すこと自体、めんどくさくなってしまいます。
明るくて気丈のいい、自慢の母ではあるものの、一方でその勢いが息苦しくなってしまっています。
親と子の関係を義実家と比べてみる
正反対の家庭だな、と思うのが旦那の家族。
大阪にあるので我が家では年に2回ほどの帰省になります。
この義実家も、私の実家と同じ三人兄弟。
お姉ちゃん、旦那、そして妹です。
帰省してみんなが集まるときは、みんなで楽しくワイワイと会話がはずみます。
何が違うのかな…と考えていると、義実家のほうは、全体的に、ちゃんと自立ができているんです。
たとえば私の実家に旦那と一緒に帰省して泊まるとき。
今日はすき焼きにするよ、回転ずしに行こう、このケーキを食べましょう、と、食事もすべて決まっていて完全にもてなしてくれます。
それはありがたいことで、私も甘えてしまっている部分ですが、息苦しい。
それに比べ、義実家に旦那と私で泊まりに行くとき。
今日の夕飯何がいい?ビールとかコーヒーは冷蔵庫にあるから何でも遠慮せずに食べてね!という自由なスタイル。
私はこちらのほうが気が楽です。。
この例は些細なことですが、自分で選択する、というスタイルがすべてのことに当てはまって、義実家のほうの兄弟たちは、自立しながら育ったんだろうなと、考えるわけです。
自立のためにもおこづかい制度はやるべき
なんでも決められていた私の幼少期。
家の中で「おこづかい」の概念がありませんでした。
田舎だったので、遊ぶといったらその辺を駆け回ったり、虫を捕まえたり、ザリガニを取ったりしてもっぱら体を動かしていたので、「このおもちゃで遊びたい」といった感情は皆無。
母が買ってきた積み木やトランプ、オセロで当たり前のように遊んでいました。
あるとき友達のお母さんにおもちゃコーナーに連れて行ってもらったことがあり、「好きなものをひとつ買ってあげる」と言われたことがあります。
その時に私は好きなものを自分で選ぶことができませんでした。
今まですべて、母が選んできたから。
今考えると、子供が「欲しいものを買ってほしいと泣く」ということは、自分の意志を持ち、これで遊びたい、これを食べたいという自立心が芽生えたということ。
その選択肢もないまますべて決められたレールに沿って「わがままを言わないいい子」のまま生きていくと、自分で選択することができない、選択に責任を持てない、優柔不断な人間に育ってしまう気がします。
このように、長い人生、自分で選択をすることの連続です。
その選択、限られた、今の現状でできることを決める力を養えるのが、「おこづかい制度」だと思います。
実際私は、自分の家はお金持ちだと思っていました。
欲しいとアピールしなくてもなんでも与えられる。
お金は際限なくあり、なんでも出てくる、というイメージ。
それは間違いだったんだな、やりくりはすべて親がしてくれていたんだな、と気づくのはだいぶ先のことです。
おこづかい制度があれば、
今自分のもとに500円ある、それで100円のものを5個買おうか、もっとためて1000円のものを買おうか、お手伝いをしてお金を増やそうか、
いろいろ考える力、お金をやりくりする力が身に付きます。
「金持ち父さん貧乏父さん」、有名な本ですが、最近になって読みました。
小さいうちからのお金の教育は大事だなあと、改めて強く思いました。
子供と親、どちらの自立のためにも、小さいころからお金のやりくりの感覚を身に着けさせることはすごく大切。
何となくお金は大丈夫な気がする、という感覚が当たり前になってしまうと、無駄なお金がなんとなく、どんどん無くなります。
自分が親としてこれから作っていく家庭の理想
義実家のような家庭が理想です。
お互いを尊重し、信じて、自立する。
自立して空いた距離の分、言葉で伝えあって話が弾む。
自分でできることが増えてきた自分の息子にも、できることを認めて、自立させ、遠くから見守る愛情を注ぎ続けていきたい。
今、まだまだ小さいこの時期から、お互いの距離感のことはしっかりと考えて家庭を作っていきたいと思っています。